4月は、母の命日がある月で、今年はシーミーも今月あったので、より母のことを思い出す機会が増えています。天国のお母さんもきっと、喜んでるかな?笑
ことあるごとに、私は母のことを書いてきているので、ご存知の方も多いかもしれませんが、私の母はガンで、闘病の末に亡くなっています。
母の闘病生活を支える中で、当時の私ができることは病院にお見舞いに行くことと、少しでも楽になるように、マッサージをしてあげることくらいでした。とはいえ、当時の私はマッサージを学んでいるわけでもなく、こうやったら楽になるかな?とか素人ながらに手探りでマッサージをしてあげていたんですよね。
それが今私がセラピストのお仕事をするきっかけであり、原点でもあると思っています。
私の母は、看護師をしていました。
本当に「天職」という言葉が当てはまるくらいに、このお仕事が大好きだったと思います♡
そんな母がガンになり、勤める病院に入院することになって、そしたらね、なんと母は、病院の上でもお仕事していたんですよ?笑
その姿を見て、「え?病人なのに、休むために入院してるのに、仕事してるの?」って笑っちゃいましたよ(笑)
それにね、入院する前は、同じガン患者さんの、メンタルケアにも回っていたらしいんですよ。
自分もガンなのにね。。。
それだけ、本当に看護師というお仕事が大好きだったと思うし、仕事に穴を開けてしまう責任感も人一倍感じていたんだと思います。
それでね、ある日母から「ノートを買ってきて欲しい」と頼まれて、買って持っていったんですよね。その時はなんとなく、入院記録を書くのかな?なんて思っていました。
そしたらね、数行だけ書かれていて、確か、私の記憶では、仕事に穴を開けてしまうことを申し訳ないというような内容が書いてあったと思います。
それをみた時に、私にノートを頼んだとき、きっと母は自分の余命を悟ったんじゃないかなぁと思いました。それで遺書を残そうとしたんだなって、その文をみて感じました。
だけどね、その文章は途中で止まっていて、二重線で消されていたんです。
その上書きされた線を見て私は、「もっと生きたい‼︎遺書を書いている場合じゃない‼︎」そんなメッセージを感じました。
母は、享年50歳でこの世を去りましたが、きっともっとやりたかったことがたくさんあったと思います。
仕事では、ちょうど病院移転があって、それを指揮している立場でもありましたし、家庭では、シングルマザーとして、私たち兄弟3人を育てる母親でもありましたから、私たちを残していく無念さも、きっとあったと思うんですよね。
私も2児の母になって、母の当時の気持ちが今ならなんとなく理解できます。
「生きたい」
そう強く願っても、願っても、どうにもならない現実に、きっと打ちのめされた日もたくさんあったと思います。
当時の私は、この言葉を受け止められずに、
「そんなこと言わないでよ!お母さんがそんなこと言ったら、私たちはどうしたらいいの?」って突っ返してしまいました。
今考えると、その言葉を私に伝えるのに、どれだけの勇気がいったんだろう。
なぜ私はお母さんの言葉を、もっと理解して受け止められなかったんだろう。
と思いますが、私は娘として、母の闘病生活を1番間近で見てきて思うことは、母は最後まで本当に強かった。病気に負けてなんかなかった!
誰よりも前向きに、治療に専念していたし、どんなに激しい激痛があっても、冷静だったんです。
サポートしてくれていた看護師さんからも、普通の人は耐えられる痛みじゃないのに、お母さん冷静に、〇〇して、って対処法を言ってたって。
でもだからこそ自分の置かれている状況や、余命も言葉にして伝えなくても、1番自分のカラダで感じていたと思います。
亡くなった今でも、私の1番尊敬する人は母です。
『もっと、もっと自分を大切にして欲しかった。そしたら、もっと一緒にいられる時間が長かったかもしれないのに・・・。』とも思います。
自分自身の身体や心を守ることも、優先していいんだし、とっても大切なことなんだということ。
なんか、当時のことを思い出しながら、ガーッと書いちゃって、まとまりがないですが、何か伝わったら嬉しいです♡